2013年7月3日水曜日

広島の平和教育に思う

先日、映画館で高校生向けのこんな無料新聞が配布されていました。

発行元は中国新聞

原爆が落ちた当日の様子、被爆した方々の体験談、そして取材に出向いた子供たちの感想などが載っています。一部の記事には英文対訳も。広島はこのような対応がきめ細かくて、本当の意味での国際都市だなと感じます。

今朝のウォーミングアップはこの英訳の音読で

こんな新聞は広島では目新しいわけでもなく、昔から続いてきた平和教育の一環なのでしょう。広島の知人たちからは実際にそういう話を聞きますし、むしろ彼らからすれば「他の地域ではこういう教育がされていないの?!」という驚きすらあるようです。

あの日何が起きたのか、どうやって復興してきたのか、聞かれたときに話せるようにしっかり学んでおかないといけない--表紙にはそう書いてありますが、それは広島の人々だけに求められることなのか。違いますよね。いずれは生の証言が聞けなくなる日がくる。私たち日本人は、皆でその思いを継承していくべきなのではないかなと。震災・原発事故に関しても、それは同じはず。

とはいえ、私も初めて広島の地を踏んだのはたったの二年前で、今ごろそんなことを学んでいます。もちろん「はだしのゲン」など小さい頃に読みはしたけれど、もっと深く肌で感じる歴史というのでしょうか。そして、そんな絶望の底からでも立ち直れる、こんなに立派に復興できるのだという人間の強さ。

故郷の福島があんなことにならなかったら、私はここまで広島に関心を持たなかったかもしれない。同じように、私と接する人たちが福島のことをもっと身近に感じてくれたらいいなとも思うのです。何ごとも「正しく知る/伝える」ことがスタートだというのは、ここ数年で痛感していること。

ずっと日本に住んでいながら、私は日本のことをまだまだ何も知らないな--焼けつくような太陽の下で初めて原爆ドームを見上げたとき、衝撃を受けながらそう思いました。

私は長年、東京で働いていました。東京にいると何だかすべての中心にいるような気分になってしまうのは、立派な超高層ビルで働いているときの勘違いにも似ているかもしれない。狭い日本の中でもそれぞれの地方に様々な歴史があって、それを継承しつつ懸命に生きる人々がいる。言葉にしてみると当たり前のことなのですが、広島を少しずつ知るにつれていろんな地方に目が行くようにもなりました。

そして福島も、これからそんなふうに歴史を作っていくのだと。

ある日の原爆ドーム


 

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